エッセイ・論考

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ナンクルサイクル

 沖縄の赤瓦屋根は、木組みに竹と土をベースに、サンゴを焼いた石灰とワラを混ぜ合わせたシックイで瓦を固めてある。その伝統の知恵を今に生かす術を身につけることがめぐりのいい環境をつくっていくヒントになると思う。デザインする行為は素材の持つ可能性を引き出し、それを最大限に活用することによって環境に対する理解の幅を広げていく。そして、よく使われることによって、さらに新しい知恵や働きを生み出していく。身近な素材を使い、多くの人達が参加することによって何かを作り出す時間は、一瞬にして大量のものを生産するシステム化した工程には無い楽しみがある。どんなに膨大なカタログを用意しても、画一化したデザインに心を満たされることはない。環境にやさしいデザインはより単純な力強さを求められているように思う。初心に帰ってテクノロジーを見直す必要を感じる。多くの人が想像力を働かせてデザインに参加する機会を増やし、心の目を開くことが大事だと思う。そうすることで働く喜びを共有できれば、エコロジカルな暮らしに見合うデザインが生まれてくるのではないか。そうした視点で、あるがままの自然を有効に活用するデザイン運動があってもいい。それを「ナンクルサイクル」と呼んでみたい。

 沖縄の言葉「ナンクル」の「ナン」は「然」という漢字が似合う。「クル」はその状態を表す。合わせて、物事は自然に身をゆだねていればなるようになっていくという意味を持つ。その一方で、自らが主体的に自然と関わっていく。他人任せということではなく、暮らしの多くが自然に依存していることを認識している生活態度をうかがわせる。「ナンクル」は、自然のめぐりを知覚する手段であり、自然の流れに逆らわない緩やかな感性を秘めている。「ナンクルサイクル」は永続的な素材としての植物の価値を見直し、限りある資源の適正な利用を望む。命ある有機質の素材と、限りある無機質の素材のバランスのとれた幸福な関係をつくること。自然素材の活用はそのためのとっかかりと言ってもいい。人の想いが曲を得て歌い継がれるように、ナンクルの美は独自の着想をはぐくむ自由を失わない。

 住宅の内外装によく竹を使う。生垣や窓の格子、漆喰塗り天井や板壁に、光の空間を演出する素材として竹を利用している。竹は音に対する反響もいい。そして熱を持たず、見た目も涼しい。照明器具の傘も作ってみた。蛍光灯の大きさに合う太さの竹を探して長さを決め、知り合いの工芸家に切り込みをお願いする。電気工事の職人に取り付け方を相談し、安定器が上手く節目に収まるように工夫する。仕上げは自然オイルを塗り、時と共に変化していく様子を楽しめるように。

 沖縄にある竹材は中国産かあるいは九州方面から造園用として入ってくる。身近に供給できる建材に乏しい今の沖縄で生産可能な有用材を考えるとき、成長が早く、どこにでも育つ竹が有望だ。フィリピンの竹の家、インドで見た寺院をかたどった竹の仮設架構物、竹で組んだ巨大な布のシェルターなど、アジア一帯で出会った竹の構築物に感動したのをつい最近のように覚えている。そうしたアジア一円の文化とつながる竹の復権を願い、これからも竹の可能性を探っていきたい。

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