エッセイ・論考

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検証・戦後の住宅

 ある集いの席―。居合わせた人たちの弾む声が妙に温かい。長い時を経た、その小さな座敷は幼いころから幾度となく通った場所だが、あらためて眺めてみると、細い資材で無駄なく、組み立てられていることに気がつく。

 繁華街のすぐ裏にあるこの家は、終戦直後、疎開先から引き揚げてきた人たちにあてがわれたエリアの一角に建っている。当時、知人、友人、親類の人たちが寄り合って家を建てた。 資材はほとんどが軍需物資。手に入る材料は何でも使った。テントのポール(八角棒)が軒を支え、家の柱にも使われている。米軍から流れてきたガルバ(溶融亜鉛メッキ)のトタンでふかれた屋根は五十年以上たった今でも当時の姿で残っている。当初は壁も軍用テント生地で覆われた「カバヤー」だった。「ドゥーヒングヤー」と呼ばれていたルーフィング屋根の家もあった。やがて木材が手に入るようになって、継ぎ足しながら姿かたちを整えていった。

「トゥーバイフォー感覚」の発生

 身近に調達できる素材で、必要なスペースを構成し、独自の継ぎ合せの手法によって組み立てていく工法を沖縄では「トゥーバイフォー」と呼んでいる。米軍の2×4工法に学んで発達させた手法だが、商品として様式化した現代風の2×4住宅とは全く違う。

 必要に合わせて組み替えていく知恵は、コンクリート造りが主流の現在の建築現場でも生きている。住み手と職人の意思の疎通があり、職人の技をその場で活かし切る知恵が働いている。「トゥーバイフォー」感覚は沖縄の歴史の中で独自に発展してきた生活文化に根ざしているように思う。沖縄の文化の特徴を端的に表現するチャンプルーもそうした生活文化の積み重ねによってつくられてきたと思う。

リズムの一致がカギ

 住むという行為は人間存在の本質にかかわり、常にダイナミックに躍動しているものである。にもかかわらず、長い間、その進展をなおざりにしてきた状況が街の隅々で露呈している。  道がなく家の建て替えができないまま自然発生的に発達したスージグヮー文化と、表面を取り繕う偽文化の蔓延する表通りとが反目し合うようにたたずんでいる。概観する限り、そのいずれにも明快な快適さの指標があるようには見えない。快適に暮らす権利と管理者の良心がどこかに追いやられているようにしか見えない。  「外面世界での活動のリズム(生活様式のリズム)と内面の精神的リズムが一致する場合、人は快適さを覚え、これらのリズムが一致しない場合は不快感を覚える」とインドの哲学者P・Rサーカーは「ネオ・ヒューマニズム」という講演録で述べている。

 人間の価値を大切にする“心によい”住まいとはいかなるものか。 お金の価値に依存するようになって、大きく揺さぶられている住宅文化。そのあるべき姿を改まって考え直す時ではないだろうか。 戦後70年を過ぎた今、新たな方向転換が必要とされているように感じている。 内面と外面の生活リズムの一致をどう考えていったらいいのか、スージグヮー文化の一端に二十一世紀の住まいのあり方を見ようとするのはスジ違いだろうか?

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