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既存の価値基準を見直さなくては

コンクリート建物

「本土と沖縄」という、図式化したような見方が特に最近強いようですが、僕らにはそういう捉え方はできないんですよね。本土から遠く離れた沖縄には何かおもしろいものがある、といった見方は。

本土という見方を仮にしようとすると、どちらにピントを合わせたらいいのか分からなくなるわけです。沖縄か本土か。「本土」という幻の世界はもともとないわけですよ。

本土は、本土はと意識することによって、逆に沖縄は沖縄で自立しなければ、アイデンティティを持たなければ、という動きが出てくるということもあるのかな。

ただ、僕らが自覚せずに普通にやっていることを外から見て客観的な見方を提供してもらえるのはいいことだと思うんですね。僕らが普段感じていない部分を別の視点で発見させられることは、とてもプラスになるわけです。人間的な交流がベースにあると、意識はプラスの方向に転換していく。

今度、僕の事務所に、大阪の学校を卒業した人が来たんですけど、大阪でも活躍の場はたくさんあるのにどうして沖縄に来たのかと聞くと、とにかくおもしろいと言うんですよね。どういう部分がどうとはいえないけれど、何か存在感があると。

こっらの意識としては何も変わったところはないと思っているし、沖縄全体としてきちんとした方向性があるとは思えないのですが。むしろ、デザインの勉強は東京、大阪、福岡、そういうところでやらないと通用しないというか、沖縄では何も学べない、進歩がないといった空気がまだ根強い。そう いうところへわざわざやってきて、 一体何があるのかな、と。

ただ、特に大都市辺りで考えると、あまりにも強力な経済ベースに乗って、一見色々なものがあるように見えるけれど、実はどこも同じようなことしかやっていないというところに気づいて、その影響が薄いところで自分なりのとっかかりをつかみたい、何か自分なりのことをやりたいという、そういう気持ちも出てきているんじゃないでしょうか。

同心円でものを考えてみると、沖縄だと台湾。東南アジア、北海道になるともうロシアの方が圧倒的に近いわけですよ。そういう範囲の中で自由に交流できて、そのスタンスでものを考えたりその個人なりのことができるというのが自然なはずなんですよね。

これから先そういうことが少しずつほぐれてくる時代じゃないかという気がするんです。だから、新しい世代が意識的ではないにしてもそういう動きをやろうとしているというか、そういう気配を察知する感覚を持って動いているのかな、と。

コンクリート建物

自由に行き来する、その動きがフリーになるためには、こちらからも発信していくものが必要だと思うんですが、沖縄を考えるとそれがあまりないんです。要するに沖縄にはそのための経済的背景――もちろんそれだけではありませんが、それがない。首里城の復元にしても国の予算が下りないと何も動かないと。そヽついうセッティングされたものがないと動いていかないのが現状のようです。

ただ、これは沖縄に限った話ではなくて、自分のアイデンティティを持てる場所としての地域が力を持って色々発信していくには、経済的に自活できる策が必要なんですが、経済というものの力がごく一部にだけ片寄り過ぎてしまっている。そういう状態をあらゆるところで考え直す動きがあっていい と思うし、そういうことをきちんと考える時代に来ているんじゃないか。自分たちが今までにやってきたことを見直しながら。これまでの価値基準を見直す。それは、個人レベルで意識的に取組んでいくところからしか始まらないように思う。

沖縄の住宅についてということですが、外はコンクリート、内側は木造というのが一般的な住宅の造りです。本当にコンクリートが好まれているのか分からない部分もあるんですよ。特に、年配の人たちの中にはね。

コンクリート、あるいはプロックもそうですが、いわば石の建築と同じようなものですよね。そんな石づくりの家に住めるかという。というのは、墓は石なんですね。石の家というのは伝統的に死後の家であって、なおかつ、沖縄では死後の世界といったものを非常に尊重していますから、生きている うちから墓に住んでいるようなそういう感覚はあるわけです。

それじゃあ、そんな中でどうしてこれだけコンクリートになったかと考えると、やはり台風に対すること、それだけではないでしょうけど、そういう現実的な選択をしてきたんじゃないかと思うんですね。長い間安心して住んでいられるとかいった、現実的な判断、合理的であると。

家づくりという点でいうと、施主と接していて感じるのは、以前に比べてものすごく情報が普及しているということですね。特に、 一般向けの建築雑誌の影響があります。よく勉強しています。(笑)

一方で、沖縄には家族・親族の構成のされ方、同時に周辺社会とのつながりなど沖縄独特の住宅事情といったものがある。家を考える時に単に自分が住むためのものということではなく、たとえば折々の行事や儀式のために台所は広くとか、親戚や近所の人が集まるから和室は絶対必要とか、そういう 自分たちを支えている世界との関わりが強い。そういう意味でしっかりつくらなくてはならないということはあります。それと、都市部にあっても独立した住宅への指向は強いですね。周辺とのコミュニケーションの場として十分な広さを持った、そういうことをあらかじめ想定した住宅。だから、大きな住宅を求めるんです。

ただ、もともとはもっと町ぐるみ、地域ぐるみで完結していた形が、その家単位で成立するようになったという部分もあって、もともとあったつながりが切れてきている面も非常にあるんです。そういう位置づけが個々の家々でバラバラで、それがみんなコンクリートで、かつ、密集して建っている、 そういう雑多な状況にあると思います。ある意味で、流動的な状況かも知れません。

インタビュー掲載誌:建築情報誌 『at』 1993年08月 特集 島の視点(地元建築家が語る沖縄と住宅)

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