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養の家

建築地
沖縄県北谷町
用途地目
第一種中高層住宅専用地域
敷地面積
211.8㎥(63.5坪)
地階
46.7㎥(14坪)
1階
94.7㎥(28.4坪)
車庫
33.5㎥(10.1坪)
2階
68.52㎥(20.5坪)
構造
鉄筋コンクリート造+木造(混構造)
施工
/2003年5月
  • 一級建築士事務所 アトリエガィィの作品
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養いのテーマ

養の家は設計の段階から、若いご夫妻、冒険心旺盛な子供達の人生サイクルに合わせて、多様に変化していく事を想定していました。
そこでいつしか、家族のために何が残り、何が不要になったのかと迷った時のために、初心に戻る手立てを残すことを提案しました。住まいづくりの、まさにその瞬間のハッピーな気持ちや問題意識などを、ときが流れても忘れないように記録して振り返ることができるといい。
夫婦、家族、近隣・・・さまざまな人との関わりの中で、自分が居たい場所や時間を、どこにどう持つのか。施主の思いを空間の中に、または資料の中に残し、伝えていく事を心がけました。


◆生活調書づくりについて
設計にとりかかる前に、住み手の生活調書を作ります。
まず、家族一人ひとりそれぞれの趣向や活動を知り、それから住み方やライフスタイル、どのような空間にしていきたいのかを家族みんなで話し合ってまとめていきます。

そのデータをもとに家づくりのテーマについて考えます。そしてそのテーマに沿って、地域性や地形など諸々の条件に合うように、いくつかの提案をし、検討を重ねていきます。
生活調書でアーユルヴェーダによる質問をし、家族それぞれの気質判定を行った結果も、家の構成に反映します。建物の構造をコンクリート壁づくりにし、堅固な木造小屋組みの屋根にしたのも、家族の気質に見合うように考えたものです。


今、個を重視する情報の時代は過ぎ、人との良いつながりを意識する時代に来ているのではないでしょうか。そこで「衣・食・住・教育・健康(医療)」の五つの要素を地域でまかなう事が大切だと考えます。生きていく上で必要であるその五つの要素の中心に、それらをコントロールする人とのつながり、すなわち「家庭」があるということを考えてほしいのです。

家で行うことは、子供に帰すこと
家庭での体験は、子供が成長する過程で大きく影響してきます。例えば、家族で菜園づくりなどにチャレンジし、食について考え、植物を育てる事を学び、生命の不思議さ喜びを体験、実践することを楽しんでみるのもいい。地元で親世代から引き継いできた暮らしの中の工夫、くらしの文化、歴史など、経済性だけではない、生きていく上で大切なものは何かを深く考え、家族から生まれる豊富な智恵を一つにして、豊かな家庭、家族、人間、子供を養える住まいづくりを考えていきたいと思っています。


2001年、新世紀のはじめに計画を始めた、北谷の家。
時代の変わり目に生きる人と暮らしを生活文化の視点でみると、
チャンプルーの香り
が漂ってくる。
北谷の家並みをつぶさに眺めていくと、戦後米軍基地の建設によって土地を失った人々が、基地の周辺に密集して住むようになり、 モノが欠乏していた戦後からモノの豊かな時代へ進展していく様子が手にとるようにうかがえる。
豊かさを反映するかのように豪しゃな家もあれば、いりくんだ路地の続く狭い谷合いの土地にひしめくように並ぶ木造トタン屋根の風景も残っていて、その差が著しく思える。 一方、米軍向けの住宅建設がひんぱんに行われて、その影響下で築かれ、変化していく町並みは60年を経た今も変ぼうし続けている。
戦後、津波のように押し寄せてきた米軍文化を是非を問う間もなく受け入れてきた、島の社会。そこに住む人々のライフスタイルに影響を与えてきたことは言うまでもない。カーカルチャー、ファーストフード、イス座の洋風リビング・・・等々が戦後の産物とは思えない程今の暮らしの中にしみ込んでいる。 そうした基地に隣接する町の特色を住まいの観点で眺め、家づくりを通して一家が新しい生活像を描いていけるためのきっかけになればと思う。 半世紀もの歴史を持つ外人住宅もさまざまに変化し、多様に受け入れられている。 ペンキの色使いやコンクリートブロックの合理的な使い方など、時を経て住み変わりながら、新しいスタイルを生み出している。
それら外見の変化と、エイサーなど失われることのない伝統文化も並行して息づいているのを基地に囲まれた中部一円で感じとられるのは、
ロック、サンシン、エイサーなどどんな音楽も踊りも融け込んでしまう、中部一帯のチャンプルーの知恵に学ぶところが大きい。
人と自然の関りが生み出す文化様式と遠い大陸からやってきた新しい様式が出合い、ぶつかり合って溶け合い、さらに新しいステージへ進んでいく。
ここで、出合い方の是非を別にして考えれば、そうした異文化の融合は特定地域のというより、文化を形づくっていく普遍的なテーマとしてとらえることができる。
施主夫妻のもっている都会的なセンスや住まいの意外性を探る視点など、彼等の天真爛漫で延びやかな気質は、さまざまな文明や文化と対等に渡り合って交われる資質をそなえているように思える。
そうしたチャンプルーを生みだしていく人や地域のセンスに未知の可能性を感じる。
そのことだけとりだしても設計に関る者としては創作意欲をかきたてられる。
さらに好奇心の旺盛な家族の家づくりに注ぐ熱い想いが伝わってくるたびに、どれほどその熱意に答えることができたかと思い返す。そのエネルギーは今なお消えることなく住まいづくりに注がれている。
家の建設工事が完了しても、それから先、住人と共に暮らしのスタイルを追い続けていくことが、本来の家づくりの在り方なのではないだろうか。
つきつめて考えていくと、家づくりは時代を変換する大きな力になりうるものだ。家はその家作りに関っているさまざまな人々の想いをその都度反映していく。
だから、ピースフルな人間関係を築いていくという家作りの基本的態度を貫いていくことは、私達の基本的な設計方針でもある。
家づくりには人々の幸福の種子が宿っている。異文化同士がチャンプルーによって平衡感覚を養っていくことは、そうした幸福の種子をまいていくことにちがいない。そこに豊かさの指標があるように思う。
文化は人間のより繊細で優雅な側面を表す活動である。
戦災で古い民家や家づくりの技術などさまざま破壊されてしまっても、否応なく力によって強いられて築かれてきた文明の顔も、チャンプルーに見るような知恵が生きつづけていく限り、幸福の種子は消え去ることはない。
チャンプルーの香りは今も、登場してくる様々な偽装文化と戦っていく心を養い、勇気をふるいたたせる。

チャンプルー礼賛

「唐の世から大和の世、大和の世からアメリカ世、うすまさ変わたるくぬうちなぁー」
という歌があった。

時代の大きな波にほんろうされてきた小島故に、外力による搾取に対抗する手段として、チャンプルーを極めてきたのかもしれない。

歴史の節々で無意識のうちに培われてきたチャンプルーの精神をさらに学び住まいづくりに活用することは、どれほど意味のあることなのか。

チャンプルー精神は21世紀の住まいの知恵として、家や地域が地球上のあらゆる方面と心を結ぶことができる。そこには、個人の自由と社会的平等の原則、人と人の文化をつなぎバランスする知恵が働いている。

そうした、社会的平等の原則の上に成り立っているチャンプルーは、人道的な普遍性をもっている。そして、生活文化という視点から、家づくりが地球の問題を解決することにもつながることができる。

ひとりひとりの暮らしが地球的なひろがりを持ち、地球上のあらゆる地域が独自性を発揮できる可能性を秘めている。

チャンプルーのセンスを養うことはひとり一人が見聞を広め、本物をかぎわける知恵をもち、偽装文化を見抜く市民の力になれる。家や地域社会が困難な時代を乗り越えていく通底器にもなりえる。その可能性は計り知れない。

北谷の地域的特色がさらに変化し続けて、新たなチャンプルー空間があちこちにできるのか楽しみだ。

21世紀の風にのってチャンプルーの香りを沖縄から世界へ発信できるといい。


設計の型どり

沖縄の住まいの現状を見渡してみると、日本や世界の情報文化の影響下で家づくりは、この30年でずい分変わってきたように思う。間取りの変化ひとつを見ても、一番座二番座と台所が並んでいた座敷本位から、外人住宅のリビング、ダイニング、キッチンのイス座へ変化し、さらに個室が増えて2重の変化をもった家が増えている。オープンな間取りで温もりのある「ホーム」から、個々の生活スタイルを重視した「ハウス」へと変わってきた。その結果、家族同士で想いを語り合う機会が少なくなり、人間関係が希薄になっていく傾向がでてきていると言われている。

その空間イメージとして、「発見とおどろき」「シンプルだが風格のある空間構成」を持つことを施主の側から提案してきた。

こじんまりとしていて温もりのあるリビングとダイニングを中心に、新しいホームの可能性を見出そうとした。

発見とおどろき


北谷の風景の中にも、新しい発見とおどろきがあった。
戦後、半世紀の間に築かれた家並みは、まだ熟成しないチャンプルー文化を彷彿とさせていた。残っている古い木造民家の家や、彩り豊かなペンキ塗りの外人住宅、つやのある新しいコンクリート打放しの家が建ち並び、急速に変わりゆく姿が目に付く。その光景は時と共に変化し続ける生き物のようにも思えてくる。

この住宅では、そうした北谷の多様な家並みの様相を設計の中に取り込んでいる。方位方角によって立面(側面、ファサード)がそれぞれの様式に見て取れるようになっている。角度を変えて家を見回してみると、その変わりようが変化に富んだ北谷の家並みを統合しているという風に。

チャンプルーの知恵を応用したユニバーサルなデザインに仕立ててみた。といっても、見た目の装いをこらしたというわけでもなく、生活の必要からくる素朴な表現にとどめている。外観のスタイルにこだわるのではなく、住まい方をよく考えていこうという提案である。


土地条件を考えると、増築に対応する敷地のスペースは無いため、屋根裏(ロフト)や家具など室内のインテリアを充実させていくことで暮らしの変化に対応するように考えた。

地形の変化が著しいのも北谷地域の特色である。急斜面を利用する工夫にも課題があった。3台もある車を1階に駐車すると、部屋をつくるスペースが全く無くなってしまう。そこでらせん状の階段を中央に部屋と部屋をスキップさせて上の階にリビングと水場を下の階(半地下)に個室を配置した。

見取り図


協働作業の楽しみと可能性

家づくりは、多くの人たちが関る。
家族で話し合ってアイデアを募り構想を練ることから始まり、友人や設計士の知恵をかりて具体的に設計図を描く。
予算と向き合いつつ、施工業者が決まり、工事が始まる。その過程でも多くの職人達と出合い、協働の知恵が活かされていく。そして、さまざまな制約を受けながらも、それをはねかえすかのように家は組み立っていく。
その間かかわる人たちの技量や気質も現場の創作意欲を左右する。
住人の住まいへの思いや意気込みがどれほど伝わり、反映されるかは設計や施工者の志気にもかかわっている。

この住宅では、「自由な表現、自分の中の自由を見つけたい」とする施主の希望によって、どんなスタイルで住んでもなじんでしまうような、ユニバーサルなチャンプルー空間を目指した。


自然の風合いが気に入っているという漆喰の壁。
着色できるのも選んだ理由の一つ。基本はベージュで、夫婦の寝室やトイレ、子供部屋など、個室はそれぞれ好みの色に塗装。飽きたら塗り替えることも可能。


・テラコッタタイルへのこだわりやサボテンのあるメキシコ風のテラス
・アジアンテイストの仕切り戸や格子組みのパターン
・沖縄漆喰瓦とトタン屋根のつり合い
・アメリカ風のモダンなガラスブロックや琉球ガラスの窓
・ステンドガラス風の色ガラスの戸や窓
・赤土入りの漆喰壁やピンクやブルーの個室の壁

いろいろな素材や様式が混ざり合ってひとつの空間に溶け込んでいる。


夫人一番のお気に入りという2階リビング横のトイレ。漆喰の壁にテラコッタタイル、鏡、照明など、一つ一つに夫人のこだわりが。


・家具デザインも、オリジナルの家具制作を工芸家に依頼
・竹や琉球宙吹きガラスを使ったオリジナルデザインの照明器具
・独自の趣向で探してきた数々のアンティーク器具やイスや家具の取っ手など、
 きめ細やかな施主の采配が家の細部を楽しく彩っている

参加するスタッフも意欲的に取り組める現場は楽しい。職人が楽しく働ける現場は相乗効果が加わり、さらに雰囲気を高める。


駐車場兼エントランス。
床にはガラスの破片をちりばめ、その天井には、引き寄せる波のような幾何学模様をかたどっている。コンクリートの表面加工によって、同じ素材ながら異なる表情をつくった。当初は曲線だったデザインを、施主がさらに発想を加えて完成させた。


住み始めて4年目になる北谷の家は、これから家族が手を掛けて楽しみながら作り上げていく部分がまだまだ残されている。
人とその関りが新しい表現を生み、時とともに生長していく家こそが本来の姿ではないか。
「モダン」の一枚岩ではない、懐かしさや温かさ、まだ途中であっても住人が関ってつくっていくであろう余白の部分があるところに、心地よい家のイメージが広がる。


通りに面した北西側には、四角やひし形のレリーフが。今の外観に飽きたら近くの小学生たちとガラスやタイルをはめて遊ぶ予定。


和室の周りを廻る幅広の廊下には、機織り機が置けるようになっている。
ここで織物や縫い物をしたり、収穫した豆やハーブを干したりできる。趣味のスペースと言うか、手仕事の場にもなるように考えての計画だ。

また、思い出の着物などお気に入りの品を飾っておくスペースにもなっている。

完成後たずねたときも、屋上で取れた小豆を干しているところだった。夫妻の細やかな暮らしぶりにホッとする空間だ。の部屋など多目的に利用できるように、間仕切りを工夫してある。


親子大工で初体験 チャレンジは後生につなぐ財産

ダイナミックな左右V字型の組み方は、設計者独自のデザイン。大工のUさん、息子のTさんとその友人の3人で組み上げられた。


RC造の多い沖縄では、木造大工の出番が少なく、その技術の継承も危ぶまれている。木造の基礎から小屋組までを完成させる技術を持つ棟梁は、高齢で引退者も多い。 若い世代が技術を学ぶにしても、修行の場が少ないのが実状。
そのような状況に加え、従来の小屋組とは異なる梁の掛け方で組み上げることになったAさん宅の木造屋根。
大工探しに難を要したかと思いきや、初めてにもかかわらず、チャレンジ精神で仕事を受けたという大工の心意気によって実現へと向かった。

大工歴30年になるUさんは、「木造には昔から関心があり、チャンスがあれば手掛けてみたかった。今回は、基礎から柱・壁まではRC造となる混構造だったので、これならやれると思い挑戦しました。依頼をうけてからは木造建築の経験のある先輩を訪ねて習い、再現された伝統的家屋を見学するなど、勉強し直しました。頭が痛いことも多かったけれど、これほどワクワクした仕事は無かった。個性的ではありましたが、丁寧に指導してくれた設計者との出会いも、いい勉強になりました」と語る。

普段は内装業を主に行うUさんは、古い木造家屋のリフォームなどがあれば、詳細にその組み方を覚えていったという。今回の機会は、18歳で大工修行に入り、諸先輩から教わった数々の知識や、独自に鍛錬してきた技術を最大限に生かせるチャンスとなった。小屋組の構造そのものが仕上げになることもあって、金具は見えないように収め、部材の合わせ目などの加工には細心の注意を払った。

息子のTさんは「あれほどの大きな木材を扱うのも、手が痛くなるほどノミを握ったのも初めてだった。この経験は財産です」と、表情を引き締めた。

最後の仕上げでは、すべての木肌を美しく磨いたという。3人が丹念に手を掛けた天井は、堂々と住まいの頭上を見守っている。

kogomi

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